東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)78号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは、当事者間に争いのないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 原告は、本件審決は、本願発明と引用例記載のものとの相違点の判断に当たり、事実を誤認したものである旨主張するが、この主張は理由がないものといわざるをえない。すなわち、本願発明と引用例記載のものとを対比した場合、本件審決認定のとおり、引用例には、(イ)本願発明において主として用いられるポリプロピレンが示されていない点及び(ロ)押出先端部に至る温度勾配について記載がない点において、本願発明と相違することは、原告の認めて争わないところであるところ、ポリプロピレンが紡糸に適したものであること(それが熱可塑性鎖状高分子重合物であることは、また、原告の認めて争わないところである。)が本願出願の優先日(第一国出願日)前公知であることは、成立に争いのない乙第二号証の一、二におけるその旨の記載により明らかといわなければならない。原告は、この点に関し、当時の技術水準からみて、ポリプロピレンが紡糸に適したものであることは、推測の域を出ないものである旨主張するが、叙上の記載をもつて単なる推測を表明したものと解することができないことは、その記載自体に徴し明らかである(これを左右するに足る証拠はない。)から、原告の右主張は、これを採用しうべき限りではなく、また、成立に争いのない乙第一号証によれば、有機物質を溶融紡出する場合において、繊条形成用物質を溶融点以上の温度において溶融するとともに、その溶融物質が押し出される前にこれを冷却して、分解を最少にして溶融速度を増加させる技術思想が当時すでに公知であつた事実を認定しうべく、これを左右するに足る証拠はないから、前記(イ)及び(ロ)の点に関する本件審決の認定判断は相当であり、事実誤認の非難は当たらないものといわざるをえない。したがつて、これらの点に関する判断において事実の誤認のあることを前提とする原告の主張は、すでに、その点において理由がないものといわざるをえない。
原告は、本願発明は、ノズルから先端部に至るまでの間において急冷するものである点において、一般の溶融紡糸の場合と技術的思想を異にする旨主張するが、当事者間に争いのない本願発明の要旨及び成立に争いのない甲第二号証(本願の特許公報)によれば、本願発明においては、押出機の溶融内容物の温度は、末端部においてポリプロピレンの融点以上二〇~一〇〇℃であり、押出先端部においてポリプロピレンの融点以上〇~四〇℃であるように押出機の長さに従つて減少するものであり、その温度の低下については何度以上の温度差を設けなければならないとする限定的な思想がないことが明らかであり、したがつて、急冷する場合も、徐々に温度を低下する場合もあるものとみざるをえないから、本願発明をもつて、溶融内容物を急冷するものに限定されたものであることを前提とする原告の右主張は根拠のないものであり、もとより採用しうべき限りではない。また、原告は、前掲乙第一号証に開示された発明における溶融物の冷却と本願発明における温度勾配の設定とは、温度差が設けられる場所及びその技術的目的において相違する旨主張するが、前掲乙第一号証の「其熔融物質力押出サルル前ニ冷却シ」にいわゆる「押出サルル前」とは、その記載に徴すれば、紡糸口金から紡出される前を意味するものと解されるから、本願発明において温度差を設ける場所(原告は、「溜り」において冷却すると主張するが、はたして、「溜り」だけで冷却されるものか疑問なしとしないが、その点は、しばらく、措く。)について、前掲乙第一号証のそれとの間に差異があるとすることはできない。また、技術的目的に関しても、前掲乙第一号証の発明においては、その記載に徴すれば、溶融速度の向上と分解防止を目的として温度差を設けていることが明らかであり、これらのことは、本願発明においても当然考慮されていることと認めるが相当であり、また、溶融紡糸における温度の設定は、溶融物が均一であり送り出し易く、かつ、ノズルから出たものが粘着しないようにするのは、この種の技術として、当然のことに属することは明らかであるから、この点に関する限り、本願発明と前掲乙第一号証に開示された技術思想との間に技術的目的に差異があると断ずることはできない。これらの点に関する原告の見解(前掲「請求の原因四」参照)は、右とみるところを異にする限りにおいて、とうてい当裁判所の左袒し難いところである。
(むすび)
三 叙上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由がないものというほかはない。よつて、これを棄却する。
〔編註〕 本件における請求原因は左のとおりである。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和三十三年四月十五日、名称を「主として高度結晶性ポリプロピレンよりなる単繊維の製造方法」とする発明につき、一九五七年(昭和三十二年)四月十六日、イタリア国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願をしたところ、昭和三十六年十月五日、出願公告されたが、荻原治他三名より特許異議の申立があり、昭和三十九年一月三十一日、拒絶査定を受けたので、同年六月十二日、これに対する抗告審判を請求し、同年抗告審判第二〇八号事件として審理の結果、昭和四十年十二月二十七日、「本件抗告審判の請求は、成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、昭和四十一年一月二十六日、原告に送達(出訴期間は同年五月二十五日まで延長)された。
二 本願発明の要旨
押出しにより主として高度結晶性ポリプロピレンよりなる単繊維を製造するに当たり、押出機の内容物の末端部温度がポリプロピレンの融点以上二〇~一〇〇℃であり、この温度は、押出先端部温度が前記融点以上〇~四〇℃にあるように、押出機の長さに従つて減少することよりなる単繊維の製造方法。
三 本件審決理由の要点
本願発明の要旨は前項掲記のとおりと認められるところ、本願の優先日前国内に頒布された金丸競著「有機材料学(賦形論)」第二一三~二一四頁及び第二三三~二四四頁(以下「引用例」という。)には、鎖状高分子重合物の溶融式紡糸法において、溶融した紡糸液は、高温加熱による変質を考慮して適当な温度範囲に限定されること、紡糸のためのノズルからの溶融液の紡出量を不断に送出するに過大の圧力を要しない限りにおいて温度は可及的に低温であること、その例示として溶融以上二〇~四五℃で紡糸するものが記載されており、これを本願発明と対比すると、引用例記載のものには、(イ)本願発明において主として用いられるポリプロピレンが示されていない点及び(ロ)押出先端部に至る温度勾配について記載がない点で相違するのみで、鎖状高分子重合物の溶融紡糸方法としてその他は全く一致しており、右相違点について検討するに、ポリプロピレンが熱可塑性の鎖状高分子重合物であり、紡糸に適したものであることは、本願の優先日前からすでに知られているものであるから、繊維材料として、ナイロンあるいはアミラン等に代えて、これを採用することは、当業者の容易に想到しうるものというべく、したがつて、前記(イ)の相違点に発明の存在は認め難く、また、一般に溶融紡糸においては紡糸時の温度は先端部に向かつて低下しているのが普通であり、かつ、融点以下では紡糸しえないことは自明であるから、前記(ロ)の相違点も、この発明の属する技術分野における通常の知識を有する者の容易になしうる程度のことであるから、前記相違点は、いずれも発明に値する技術的解明とはいえない。したがつて、本願発明は、引用例記載の技術内容から、当業者の容易に類推しうる程度のものであり、旧特許法(大正十年法律第九十六号)第一条の発明を構成するに足りないものである。
四 本件審決を取り消すべき事由
本件審決は、本願発明と引用例記載のものとの相違点に関する判断において、事実の認定を誤り、各相違点はいずれも発明に値する技術的解明とは認められないとし、これを前提として、本願発明をもつて、引用例記載の技術内容から当業者の容易に類推しうる程度のものであるとした点において判断を誤つた違法があり、取り消されるべきである。すなわち、本願発明の要旨、引用例の記載内容、両者の一致点及び相違点並びにポリプロピレンが熱可塑性の鎖状高分子重合物であること、及び一般に溶融紡糸においては紡糸時の温度は融点以下では紡糸しえないものであり、先端部に向かつて低下しているのが普通であることが、いずれも本件審決認定のとおりであることは争わないが、ポリプロピレンが紡糸に適したものであることが本願の優先日前公知であつたとの認定は事実を誤認したものであり、当時の技術水準においては、ポリプロピレンが紡糸に適するということは、単なる推測の域を出ないものであり、また、本願発明においては、ノズルから先端部に至るまでの間に急冷するものであり、自然的低下に止まるものでない点において、一般の溶融紡糸の場合と技術的思想を異にするところ、本件審決は、この相違を看過し、この点も、本願発明の属する技術分野における通常の知識を有する者の容易にできる程度のことであるとしたのは誤りである。被告は、溶融物質を冷却することは、乙第一号証(特許第一四三七四四号公報)の記載から明らかなように、本願における優先日前周知であつた旨主張するが、乙第一号証に開示された溶融物の冷却と本願発明における温度勾配の設定とは、(一)温度差が設けられる場所及び(二)その技術的目的が異なり、本願発明においては、押出機先端部に至る、このような温度勾配を設けたことにより、著しい技術的効果をもたらし、かつ、すぐれた紡糸を得ることができたのであり、このようなことは、本願の優先日当時、当業者の容易に想到しえなかつたことである。すなわち、乙第一号証の発明においては、繊維形成物質が加熱格子において溶融点をかなり上廻る温度で溶融され、ギヤーポンプで押し出される前に、「溜り」において、一定時間停滞する際における分解を最少にするため、「溜り」において冷却を施すことが望ましいとされているのであるが、溶融物質が繊条として紡糸口金から紡出される直前で冷却することは、この工程における溶融物質の流速からみて、物質の分解防止にはほとんど役立たないものである。また、溶融ポリプロピレンの温度勾配については、本願明細書に、「内容物の末端部の温度が二〇〇~二五〇℃、一方押出機先端部の温度が一七〇~一八〇℃であるように押出機に沿つて温度を調節すると、押出生成物の強度、弾性、特に生成物の均一性について最良の特性が得られることが実際にわかつた。」(本願発明の特許公報第二頁左欄六~九行)、「押出機の維持温度は、………且供給室直後の部分からスクリユーの端部に向い、………低下(上昇の誤記)するような状態に調節する。」(同一~四行)と記載されているように、結晶構造に変化を与えるためには、一定時間にわたり高温を維持することが必要であり、このためには、単に二点間に温度差が存在すれば足りるのではなく、徐々に温度が低下するという形の温度勾配を設けることが必要なのであり、本願発明において温度勾配を設定したのは、溶融ポリプロピレンの溶融紡糸の際生ずる特殊な技術的問題を解決するためである。すなわち、本願明細書に述べているとおり、アイソタクチツク・ポリプロピレンの溶融紡糸においては、次のような問題が存在する。
(1) アイソタクチツク・ポリプロピレンを、その融点以上わずか数度Cに加熱したのでは、溶融体は単繊維に押し出されるために必要な均一性を有しない。
(2) アイソタクチツク・ポリプロピレンを、その融点以上二〇~一〇〇℃に加熱した時に、均一性が得られる。
(3) しかし、あまり高温に加熱すると、複雑な冷却工程が必要となり、また、繊条が互いに粘着する傾向がある。
(4) 溶融体は、押出機先端に入る以前に徐々に冷却されて、ノズルにおけるその温度が融点附近、すなわち、融点以上〇~四〇℃となるようにする必要がある。
以上のようなポリプロピレン紡糸における技術的困難性の理論的究明は、本願出願時において、発明者もかならずしも明確に理解していなかつた。しかし、発明者は、本願明細書にも明らかにしているとおり、(一)押出機スクリユー部における温度を、融点より二〇~一〇〇℃以上とし、(二)押出機先端部温度を溶融点より〇~四〇℃高くし、(三)溶融体の温度は押出機の長さに従つて、徐々に冷却されるようにしなければ、均一な繊条を得ることができないこと、及びこれらの条件により、はじめて、均一な繊条ができること、との知見を得て、本願発明の方法を着想したのである。